近くて遠い創造の宝庫
‐松平先生を偲ぶ‐









昨年の10月に松平頼則先生がなくなられ、ゆみさんも大きなショックを受けられたと思います。それで今回は、特別インタヴューということで松平先生とのかかわりをお話願えればうれしいのですが。そもそもお知り合いになられたきっかけは?

ゆみ







1989年に東京の大森にある山王オーディアムでサティのコンサートを開いたときに、お見えになったのです。それ以前にドイツのボンで歌ったときに、息子さんの頼暁さんが聴きにきて下さり、楽屋にこられたということがあり、東京でのコンサートのご案内を差しあげたら「親父がサティが好きですから、よんであげて下さい」ということで頼則先生がおいでになった。




それが世紀の出会いということですね。初対面の印象はどんなふうでした?

ゆみ





ダンディな人、物腰も姿も。少しはにかんだ少年のような表情で話される言葉の光ること!偉そうなところのみじんもなく。そのあとパリに帰ったら、2ヶ月後に私のための曲を送って下さった。「二星」という曲でピアノ版にアレンジしたものです。これはその年のラジオ・フランスでのリサイタルで歌わせていただきました。日本の朗詠の形をとったヴォカリザシオンでした。でもけっこう高度の技量を要求されて大変でした。



その後は?

ゆみ





手紙の往復がひんぱんになり、沢山の曲を書いて下さるようになった。先生にとっては長いあいだ出現を待ち続けていた歌手ということだったようです。フランス文化に傾倒なさっていた先生にとっては、フランス歌曲に通じ、日本の文化を理解し現代性も備えているという歌手を、ようやく見つけたという思いもおありだったのでしょう。「ゆみは五線紙に書けないものを表現する歌手だ」と後になっておっしゃっておられた。



情熱あふれるお手紙が次々に届いたとか。

ゆみ

ええ、それはもう。




それからは、帰国されるたびにお目にかかるようになったわけですね。ゆみさんの目にはどんなふうに映りました?

ゆみ




お年を召されていることには違いないのだけれど、お話をしていると思春期の少年のように感性が鋭く、言葉が詩的で物事の本質にせまっているの。そしてその情熱とエネルギーときたら、すっかり圧倒されました。長い年月を生きてこられた方ですから音楽について、音楽家についていろんなエピソードも沢山お持ちで。歴史の宝庫のような方、すばらしい人にめぐりあったと思いました。



ゆみさんの歌は、それで変わりましたか?

ゆみ




それはわかりませんが、先生の曲を歌うためには新しい唱法を創り出さなくてはならなかった。そういう意味で苦しみました。苦しんだけれどもよかった。先生の声楽曲は詩(ことば)はあるけれどテキストからではなく、あくまで声の音色によって曲のポエジーを表現するということをあらためて深く学びました。




モノオペラ「源氏物語」が頼則先生がゆみさんのために創られた一番大きな作品ですね。1995年に福井県の武生での初演。この作品はどういうふうに感じられました?

ゆみ









現代音楽のオペラは行きづまっていると思うのですが、この作品には新しい抒情性、前衛的なものがあると思います。「源氏」の物語をオペラでなぞり直すのではなく、平安時代の官能的で典雅な香りを幻想的に浮かびあがらせている。光源氏すら出てこない遠い昔の愛の記憶がこだましている。ポエジーそのものだと思う。オーケストラの部分もうねりがあって聴いてる人を1000年以上も昔の光の中に連れて行ってくれる。それとも宇宙の星座の中に?この曲は中世と宇宙とのあいだの振幅のうちに成立しているのではないかしら。特にこのオペラの最終章「幻」という声と器楽のアンサンブルの何と美しいこと!この世のものとは思われない生と死と、現実と夢との境界線にほのかに光る虹のような音楽。最後に灯火がふっと風に消えるように終了。「源氏」はパリでもベルリンでも公演したのですが大きな感動をよんだようです。



フランス音楽との関係は?

ゆみ






松平先生は長いあいだドビュッシー、ラヴェル、プーランク、ストラヴィンスキーなどの影響を受けて作曲なさってこられたけれど、あるときに日本の音楽と西洋の現代音楽を融合できないかと考えられるようになった。バルトークやタンスマンがやったように。それから雅楽の研究が始まり、雅楽と西洋音楽の中にあるものとを分解して数学的に作りあげた。情熱があるというだけでなく理性的に、テクニックをふまえて新しいものを創りあげられた。でも先生の音楽の深さはこういう言葉ではとても語りえないのだけど。



生きる姿勢についてはどんなことを感じられましたか?

ゆみ















芸術創造が一番尊いものだと考えて生きておられたのでは。アート=創造のためにすべてを投げ打って。それが出来たのは奥様の雪さまがおられたからね。亡くなる一ヶ月半前に私に、また新しい技法を発見した、と喜々としておっしゃっておられた。亡くなられた当日(10月25日)竹島さんから知らせを受けて1時間後に最後の作品が届きました。そして亡くなる二日前にも新しい曲を書き始めておられる。そのフラグメントを雪さまが私に下さったのですけれど、その美しさときたら何とも言えない。ゆるぎない筆、繊細な文字。遠くに光が見える陶器の白磁の世界。お友達の矢吹さんはある時先生のスコアを見て「これは宇治の平等院の美しさだ」と言っていたけど。そういう一生が送れたというのはすばらしいことであると同時に悲劇的だとも思う。最後まで感性が冴えきわまっていくと同時に身体は衰えていくのだから。これはとても辛いことでしょう。まだまだ創造の宝庫だったという点で残念だけど、なにしろ亡くなる前日まで創造的でありえたということは、人間として、芸術家として最高の生き方だったと思う。いま雪さまがお一人になられて、どういう思いで暮らしておられるのか、胸が痛みます。雪さま自身感性のすばらしい方なので。先生のお宅をお訪ねすると、どんなに疲れているときでも、おいとまする際はお風呂あがりのように、魂をすっかり洗われたような幸せな気持ちになりました。それほどお二人には、驚くほど邪心というものがなく、美しい心の鏡で私を映してくださった。

Q 

作品の中で特にこれは好きな曲、というのは何でしょう?

ゆみ











ドビュッシーの影響を受けている「古今集」などは、とてもよく書かれていると思うけど、私には難しい。私の誕生日のために書いてくださった「ラ・グラース・七月の詩」は、肉体と精神がぴったりとくっついていく感じなので好きです。でも先生の作品はどれも歌うたびに水に飛びこむような決心がいります。でもいったん飛びこんで歌いはじめると想像力がどんどん刺激される。歌っていない作品がまだまだ沢山残っていて、その中には「源氏」に続く「宇治十帖」という大作オペラもあります。どこまでできるかわからないけど、発表していきたいと思っています。先生は孤独の人、音楽家付きあいのない人なので、そのために先生の真価のほどには世に知られていない面もある。しかしヨーロッパでは知る人ぞ知るで尊敬されています。昨年はマルセイユでは「松平頼則コンサート」、メシアン・フェスティヴァルでは「ドビュッシー、メシアン、松平」という形で取りあげられました。そうそう、よくこうおっしゃっていた。「死んでから追悼コンサートなんてよくやっているけれど、あれだけはごめんだな。」って。



お友達の少ない方でしたか。

ゆみ




90歳をすぎるとお友達はみんなこの世にはいらっしゃらないのね。ただ、晩年に竹島さんという先生よりずっと年下のうなぎ屋さんのお友達がおられました。その方自身写真をやっておられるすばらしいアーチストで、先生の良き理解者、いい話し相手だったのではないでしょうか。竹島さんにめぐりあって先生は本当に仕合わせだったと思う。





ゆみさんにめぐりあったことも?ゆみさんにたいする先生の情熱の中には恋の気持も強かったのでは?

ゆみ



もちろんそうでしょう。私が先生に「敬愛をこめて」と書くと、その「敬」がよけいなんだな、と言っておられた。




先生の机のまわりにはゆみさんの写真が何枚も張ってあったとかノ

ゆみ

そう。私の猫の写真まで。私の猫二匹のためにピアノ曲まで作曲し下さった。


すごい!

ゆみ

それはアーティストとして不思議ではない。アーティストには情熱が必要なの。愛が必要なの。



ゆみさんにとっては先生はどういう方?

ゆみ




先生は私にとって遠くもあるし近くもある存在。人間としての先生はとても近い。今でも電話をしたら「もしもし」というはずんだ声が聞こえてきそうな気がする。でもアーティストの先生はミステリアス。私の人生の宝となっているのはたしかだけど遠い存在でもあるのね。偉大な芸術家の魂としてね。



先生が亡くなられたいま、どんなお気持ちですか。

ゆみ



この冬はメランコリーが続きました。大事な先生が亡くなられ、大好きな叔父が亡くなり親しかった友人も去っていった。人生の冬ごもり状態が続きました。でもいろんなプロジェクトがあるし、それを支えてくれる友人がいるし、元気でいよう!

Q 

そこで今年のご予定を。

ゆみ




モーツァルト・サロンでメシアンの全歌曲を歌います。とんでもない冒険で、日本では初めてのこと。二つうれしいことがあるの。一つはサロンで好きなことをしてよい、という企画を立てて下さったこと。もう一つは後輩の若いピアニストの谷口さんが私の勉強してきたスタイルを情熱的に吸収したいと思ってくれていること。そういう谷口さんと一緒に勉強できること。。



お勉強が好きですね。

ゆみ



まだまだ。6月には大好きな「月に憑かれたピエロ」をパリで7回公演。そして松平先生のオマージュのコンサートをあちこちでやりたい。それだけではないのよ。もう一つの大冒険が秋に待っているの。ワッセルマンさんの演出でソロヴォイスのリサイタルをすることがきまっている。



どんな曲ですか?

ゆみ






ベリオ、ケージ、シエルシ、松平、その他の作曲家の楽器のない<声>をつないでいって一つのオペラのようなものを私たちは考えているの。それに中世のフランスの歌も入れます。舞台は国嶋芳子さん。場所は大正時代のアールデコの小学校を改造した京都市の芸術センターです。イマジネーションの沸いてくる建物で、言葉でポエジーを語るのでなく声とパフォーマンスで詩的な空間をつくりたいの。今までにどこにも存在した事のないスペクタクル!私は冒険が好き、アヴァンチュールが好き、可能性に問いかけるのが好き・・・。

ラ・プレイヤード会報19号より
2002年4月1日発行



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