堂島と南森町のオリヴィエ・メシアン

 
私がメシアンを見たのはただ一度、1962年の春であった。当時の私は、肺の血管が盛大に破れて、勤め先の会社から縁を切られ、あてもなく、リハビリと称して大阪の街をフラフラと歩いていた毎日だった。これから何をすべきか、展望は闇であった。

 そんな頃、今では跡形もなく取り壊され、堂島「アヴァンツア」の敷地の一部になってしまった「毎日会館」でメシアンの講演会に行き逢った。ピアニストのイヴオンヌ・ロリオが同行していた。

 メシアンの曲はこれまで、あの類い稀な「時の終わりのための四重奏曲」くらいしか知らず、収容所で作られ、その中で仲間と初演奏された曲というだけで、私は少し威儀を正して夜中にこれを聴いていた。

 舞台上のメシアンは、冗談やユーモアから程遠い謹厳な感じの人であった。もう40年も前のことなので、その時の話の内容も勝手に頭の中で変形されてしまっているに違いないが、彼が戦後の音楽世界に登場した場所は、伝統的な音楽の構成原理によらず、使い古した音素材をも拒否して作品をつくろうと試行が繰り返された「前衛音楽活動」の渦中であった。

 講演の途中彼が選んでロリオに弾かせたのは、「四つのリズム・エチュード」の中の「音価と強弱のモード」。この曲は彼によると、自分流のトータルセリエルな音楽で、「音列技法ではシェーンベルクが第一に評価されているが、自分がこのような曲を作ったことも忘れないでほしい」というようなことを話した。しかし、当時の私の耳では精密な構成原理など捉えられる筈もなく、複雑な音の渦巻きが走り回るだけの曲であった。

 話の途中で気が付いたのが、舞台を包むメシアンとロリオの格別に親密な雰囲気であった。

 私の知っていた限り、メシアンの奥さんはバイオリニストのクレール・デルボスであったが、何年か前に亡くなり、ロリオと再婚したのだそうであった。二人にとっては、この訪日は新婚旅行でもあったのだ。

 メシアンは日本が気に入り、タタミやスキヤキ、テンプラと縁が切れなくなったそうである。帰国後、年内に早速私たちにも親しい「七つの俳譜」を完成させた。

 メシアンが最後にロリオに演奏を頼んだのは、「ヨーロッパヨシキリ」であった。「鳥のカタログ」の中の7番目の曲で、深夜から翌々日の午前3時頃までの鳥の鳴き声を実際に採譜して作曲したそうである。31分もかかる大曲、一大シンフォニーであった。

 メシアンによれば、前衛作曲家としての彼を慕って集まったシュトックハウゼンなどは、鳥と遭遇して目を丸くして離れて行ったとのことであった。

 メシアンは自分の創作活動を、?聖書にもとづいた宗教的・神学的な作品、?リズム研究の作品、1、トリスタン伝説にもとづいた作品、2、鳥のうたにもとづいた作品、に分類しているが、インドや東洋音楽までも対象にした精力的なリズム研究や、セリエルな作曲法にこだわらず、ドビュッシィ流の印象主義の影響も失わなかった。私が面白いのは、3、のトリスタンの伝説にもとづく作品は前妻のバイオリニストが生きていた時に限られて、それ以降は全くないという事実である。その理由を想像したくなる。

「堂島のメシアン」は内容が充実してやや疲れる催しであったが、その後私は弁護士になってしまい、メシアンとも疎遠になってしまった。そして昨年の5月25日。あのときからもう40年が過ぎていた。

「犬も歩けば棒に当たる」という言葉があるが、「弁護士が歩けば音楽に当たる」というのは本当である。事務所で面白くない裁判書面をようやく書き終わって家路の途中、どこかで一杯と思いながら歩いていた南森町の小公園の西側の「モーツアルトサロン」で奈良ゆみさんのリサイタルの看板を発見した。メシアンの「ハラウイ」が当夜のプログラムであった。

 たまたまその2ヶ月ほど前から、「サテイ」、「ドビュッシイ」、「フオーレ」の歌曲集などのフランスからの奈良さんのCDを手に入れ、私は奈良さんがパリで堂々と現地の人に伍して高い評価を得ていることをはじめて知り、感心して聴き始めたころであったので、偶然とは言え、何かのえにしと、売り切れ寸前の切符で会場に潜り込んだ。

 メシアンの「ハラウイ」は「愛と死の歌」という言葉が添えられているが、ペルー版の「トリスタンとイゾルデ」である。詩はメシアンのものであり、彼の母セシル・ソーヴアージュもかなり有名な詩人であり、メシアン自身も若い頃シュールレアリズム系の詩人たちとの交流も伝えられているので、詩はお手のものであったと思われる。

 私は、「ハラウイ」の言葉のわからない複雑な曲を少し持て余し気味で、ミシーエル・コマンの歌唱で聴いていた。しかし、奈良さんの歌は違った。第一曲の「お前、眠っていた町よ」からつぎつぎと息もつかせぬ迫力であった。ホールの狭いことが幸いして、普通の会場ではとても聴こえない歌い手の息づかいまでが耳に伝わり、興奮した。「惑星の反覆」のドウンドウ・チル・チル・チルのところでは踊りだしそうな気分になった。忘れてはいけないのはピアノの谷口敦子さんの演奏で、この曲が始まるまでは私はこんな複雑な曲は、誰がどのようにピアノを弾かれるのであろうかという心配を抑え切れないでいたが、単なる「歌バン」の域を超えて、奈良さんに一歩も譲らず弾き終えられた。私はこのコンビの「追っかけ」になって、「サテイとジョンケージ」、「松平則頼」、「ピエロ・リューネル」などを次々に聴かせていただいたが、どれも素晴らしかった。さてこの次は何を歌われるのか、今からますます楽しみである。

ラ・プレイヤード会報22号より
2003年9月1日発行




 藤田一良 (弁護士)


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