現代音楽のユミ・ナラの時代
━夜明けから朝の光の中へ




パリのアパルトマンにはお花が咲き乱れている



準備はよろしいですか?

ゆみ

用意周到!




ユミ・ナラの半生の物語、前回はどこまで行ったか覚えておられますか?

ゆみ


そんなの覚えていない。覚えることばかり沢山あって…。







前回はパスカル・デュサパンと一緒に世に出て、現代音楽におけるユミ・ナラの時代の夜明け、つまり1979年頃で終っています。これからだんだんと真昼どきに向かいます。79年3月にスエーデン文化センターで「インプロヴィゼーション」をなさっていますね?

ゆみ





あれはとてもエキサイティング、最高に楽しかった。そのときに一緒だったのがコントラバスのジョエル・レアンドル。彼女はジョン・ケージに認められて、今も活躍してます。そうそう、あのときのテープが残っている。






それでは聴かせていただきます。
なるほど。楽器の方はものすごく激しい演奏の仕方ですね。そしてときどき声が浮きあがってくる。かと思うと楽器の音とぶつかりあう。こういうインプロヴィゼーションでは自己主張の強い人の音が強く出てくるということはないのですか?

ゆみ




私の場合はそうではない。インプロヴィゼーションというのは待つこと。相手の楽器の音を待っている。相手にまかせておく。次に今度は自分の中から何が出てくるかを待っている。そして出てくるものを相手と同一化させないで空間の中に音の彫刻をつくっていく。ある意味では自己主張からもっとも遠いものです。





なるほど、そうですか。このインタヴューもインプロヴィゼーションですが、相手の音が悪すぎてすみません。さて次はドゥーズードゥゼムのアンサンブルでロルフ・ゲルハールの「パーティクルス」。この作曲家は?

ゆみ

イギリス人です。指揮がジャック・メルシエです。



どんな曲ですか?

ゆみ


喉ちんこをぴくぴくさせながら"あっあっ"とか"うっうっ"という音を出すの。あ、少し記憶がよみがえってきた。




これもテープを聴かせて下さい。
なるほど。僕にはピーピーとかウーウーとかに聞こえます。

ゆみ


原始の動物の声のようでもあったり、山羊の声みたいだったり。ときどき発作的になって、犬みたいにほえてみたり。原始林の大きな鳥の声ね。




台風が接近して遠ざかっていく、そんな音のようにも聞こえました。次の「ミクロメガス」、これはオペラですね。

ゆみ




そう。ポール・メファノの現代オペラ。パリのマレ地区のフェスティヴァルで10回公演しました。語り手が主役で、私は妖婦の役だったかしら。ハイライトの場面で出てきて、「ああ、残酷ね、残酷ね」とアリアのようなものを歌いました。このとき沢山ギャラをもらったのでそのあとイタリア旅行に出かけたのですが、寝台車で寝ているあいだにそっくり盗まれてしまった。



ぜんぜん気がつかなかったのですか?

ゆみ

ぜんぜん。ローマで降りてカフェで朝食をしようとしたら、お金はぜんぶとられていた。

Q 


そしてモンマルトルのフェスティヴァルではヴィラ=ロボスの「ブラジル風バッハ No5」に出演。

ゆみ



これは8本のチェロを使ったもの。すごく美しい曲、レーヌ・フラショのアンサンブルでした。フラショは後に芸大に来て教えておられたから、日本でもよく知られている方です。現代音楽ではなく、どちらどちらかというとクラシックに近い曲です。






これはぜひテープを聞かせていただかねば。

いや、これは何とも美しいソプラノ。崇高といっていい曲ですね。そしてまた拍手と"ブラボー"のすごいこと。結局アンコールということで……。

ゆみ





結局もう一度歌うことになりました。第一部は<アリア>、第二部が<ダンサ>と題された組曲で、南米の草原に光が輝いている。その後から白衣の乙女が現れてくる、そんなイメージね。オペラによくあるあぶらぎっている感じのない清れつな曲。この歌は皆を感動させたみたいで、何年もたってからある人に電話したら、この歌をいつも聞いていると言ってさっと電話をとおしてあの時のコンサートのテープを聞かせてくれた。



録音は?

ゆみ

ラジオの「フランス・キュルチュール」で録音をしています。



声と歌と両方ありますけれど歌は何語ですか?

ゆみ






ポルトガル語。ただこの曲は私にとってすごく大事なもので、それだけに、そっとしまっておきたい。大事なものなのでガラス箱に入れてしまっておきたい気持・・・…。そうそうこのときヴィラ=ロボスが大好きになって、留学生としてもらっていた800フラン[当時約4万円]をぜんぶ使って彼の楽譜を買ってしまった。でもそれで後になってすごく助かりました。

パリのご自宅でお勉強中のゆみさん


ジェラール・マッソンの「クインテット」がその次です。

ゆみ


これもドゥーズードゥゼムのアンサンブルで指揮はアラン・デゥボア。声と楽器とがよりあったり分かれたり、糸のような作品。




さあ、そこで今度は1980年に入ります。1月にジャック・セラノの「沈黙のヴァリエーション」の初演。これは?

ゆみ




セラノは天才かノータリン、と言われた人。曲がきちんと書いてあって、練習のときは私は声を出して歌うのだけど、本番では声を出さないで歌う。わかりますか。たとえば映画で声をカットしたときどうなるか。見ている人に歌がきこえるかどうか。でもこのときの経験がそれからの私の活動の方法を決めたように思う。



このときのテープは?

ゆみ

テープはあるけれど、私の声は聞こえません。

Q 

そうか、そうか。舞台の上での息づかいはテープでは再現できませんね。

ゆみ



ここに寝そべってもいい?(とおっしゃって長椅子の上にお寝そべりになられる)そうそう、このときのコンサートにフランソワ・ヴェレが来ていて、自分のスペクタクルに出てくれと依頼され、後に出演する事になります。



80年3月のアントルポ劇場での初演というのは何でしょう?

ゆみ

ああ、それは自作自演の創作です。



自作自演?

ゆみ


アルゼンチンのクラウディオ・パントーハというパントマイムの役者にすすめられてやったの。ほら、ここに楽譜も残っている。(とおっしゃって長椅子から身を起こし、楽譜を出してこられる)



(真珠を眺める豚といった様子で)すばらしいですね!この自作の曲を歌って踊られた?

ゆみ


真暗やみの中、舞台の奥の方から白い布をかぶって姿を現し、ゆるやかに踊るの。ときどきフルートに合わせて声を出す。そんなスペクタクルです。





あらゆることに物怖じせずに挑戦する朝の時刻のユミ・ナラですね。この年、吉田進さんの「演歌?」の初演とか、ヴィラ=ロボス、デュサパンの再演など、沢山仕事をなさっておられますが、ヴェトナム人の作曲家ダオの「ホアン・ホン」の初演もこの年ですね。

ゆみ



メッツのフェスティヴァルでアルス・ノヴアのアンサンブル。指揮はダオ自身がしたのかしら。オーケストラ背景のリリックな歌曲です。



言葉は?

ゆみ







ヴェトナム語です。ダオという人はきつい言葉を使って、内容も政治的な要素が入っていた。そもそものきっかけは、この年の1月に出たル・モンド紙での私の記事を見て、ダオが直接電話をして曲を書きたいと言ってきたのです。私は当時、現代音楽の流れ星みたいな存在だったのね。ダオの曲を歌っただけでなく、アラン・ゴーサンの「虹色の輝きー儀式」という曲も歌いました。これはピーター・エトヴォスの指揮でロレーヌ交響楽団。このコンサートのときにメシアンが来てくれて「声がしっかりしてきましたね」と声をかけて下さった。奥様のイヴォンヌ・ロリオさんが編んだ紫の毛糸のマフラーが印象的でしたが、オーバーの袖がすりきれていたのも覚えています。



何という記憶力。油断がなりません。このコンサートはとても話題になったようですね。

ゆみ


そう。ジェラール・コンデが「ル・モンド」誌に、ハリー・ハルブレイクが「アルモニー」誌に、といった具合に沢山の記事が出て評価されました。その後、シャンゼリゼ劇場でも再演しました。





この年は、「ブラジル風バッハ No5」やデュサパンの「イジチュール」が各地で演奏されていますが、この話は少しとばして1981年に移ります。年譜を見ていて、おや、と思ったのは、エリザベート・シュウァルツコプフの二週間のスタージュに参加されていることです。

ゆみ



トゥールの音楽祭の一環として行われた公開レッスンで、オーディションを受けて6人だけ選ばれました。写真で見ると美しく、きゃしゃで、繊細に見えるのだけれど、実際に会ってみるとごつごつした感じの人。



これは公開レッスンですね。

ゆみ


そう。ホールを借り切って毎日舞台の上でのレッスンです。聴衆がいるからショウのようになって、レッスンとしてどこかずれていたように思う。この子をどうするか、ということよりレッスンを見せるというふうになっていた。
テープは?
ゆみ

ありますよ。かけてみましょう。ラジオ・フランスが録音をして流したものです。



この曲は?

ゆみ



シューベルトの「糸を紡ぐグレートヒェン」あれ以来はじめて聴くけれど、ドイツリードの声の色がこの頃にすでにできていたんだなあ……(感慨深げに)



どんな注意を受けたのですか?

ゆみ







テキストの解釈についてが多かったな。イギリス人の若い女の子が一人いて、彼女はシュワルツコプフのお気に入りだったんだけど、真珠のような赤ちゃんを連れてきていたのね。パパは70歳ぐらいのおじいさん。ベンツに乗ってきていた。よくお金持ちの英国紳士にあるタイプだけど、奥さんのために一生懸命つくして、乳母車をおしていた。彼女は一回CDを出したきりで消えてしまったけど。



シュワルツコプフは当時何歳ぐらいでした?

ゆみ











70歳ぐらいでなかったかしら。ご主人がEMIのディレクターで、彼女の歌の一音一音直しながらレコードをつくっていたそう。彼が亡くなったときに彼女は歌うのをやめて教えるようになった、と聞きました。私はその2〜3年前の彼女の最後のリサイタルを聴いているの。シャンゼリゼ劇場でヴォルフを歌った。最後に<私はまだみなさんの前で歌えるでしょうか>と聴衆に問いかけて、聴衆がどっとわいた、という場面があって涙が出ました。彼女のレパートリーの一つにリヒャルト・シュトラウスの「四つの最後の歌」というのがあって、これは私の一番好きな歌の一つ。私は一度も歌う機会がなかったのだけど。





ぜひそういう機会をつくりたいものです。ところで、この夏のエジンバラのフェスティヴァルのために毎日練習をなさっておられるようですが。

ゆみ


そう。部屋の中は35°、練習をしていると身体から湯気がわき立ってくる。すると頭が冴えてきていい感じ。




よくわかりませんが、打ちこんでおられるということですね。曲は?

ゆみ






松平先生の大曲で1992年に私のために書いてくださった「源氏物語による三つのアリア No2」の初演です。ソプラノと室内楽のオーケストラです。銀色の月の明かりの中に溶けこんでいくような美しい曲です。エジンバラは初めてで美しい街だそうですが、そこでこの曲を歌えるのはとてもうれしいことです。

ラ・プレイヤード会報22号より
2003年9月1日発行



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