♪ゆみこからゆみさんへ♪


 昨秋は「ソプラノの秋」でした。人間の声という、根源的で直截的でなんのごまかしもきかない楽器に、私はここ何年かとても惹かれているのです。バーバラ・ボニーにはじまり、白井光子さんを聴き、そして最後をしめくくったのがゆみさんのリサイタル。

 いやー、最高に楽しかった!ケージあり、枯葉あり、ヴァイルやシェーンベルクのキャバレーソングあり、日本の歌曲あり・・・もう「お釣りがくるでー」と言いたいぐらい、一粒で何粒おいしいのかわからないぐらい、楽しくてお得なコンサートでした。あら、いかにも大阪人の形容ですみませーん。

 ゆみさん、最初にお会いしたときのことを覚えてはるかしら?場所はパリのカフェ。口に出すのも恐ろしいけど、もうかれこれ20年前になります。あのとき、私は写真家の橋口譲二さんの仕事のドイツ語通訳で、当時はまだ冷戦下のベルリンでハードな取材の日々を過ごした帰りでした。ひたすら街を歩いては頭にトサカを立てたパンクの少年たちやトルコ人の労働者、麻薬常習者や刑事さんたちの話を聞くという、えらいこっちゃの毎日。厳しい現実と向き合わざるを得ない仕事からいったん解放されて立ち寄ったパリでした。そこで「おともだちのゆみさん」(私も当時「ゆみさん」と呼ばれてたので、ん?と思いましたけど)と譲二さんに紹介されたのが最初の出会いでした。「パリのカフェ」というぴったりの舞台にふわりと現れたゆみさんは、おお!いかにもパリ!すっごくおしゃれで、ほんまにステキでかっこよかった。でもね、ひとこと言葉を交わした瞬間わかりましたねえ。あ、この人、大阪人やわ、と。どこにいても大阪人は大阪人を嗅ぎつけてしまうのです。私は特に郷土愛に燃える人間ではありませんが、やはり同じ文化の根っこを共有する人にはどこか親近感を持ってしまうのですね。え?ちょっと大げさやて?それは私もすでに長年、大阪の地を離れて暮らしているからかもしれません。

 その後、何度もコンサートを聴かせていただくうち、なにやらもっと濃くて不思議なご縁があったこともわかってきました。ゆみさんが学ばれた相愛学園。東儀先生の下っ端弟子だった私は幼稚園から相愛の「子どものための音楽教室」に通い「子どものためのオーケストラ」でバイオリンをひいていたのです。恩師であられた木川田先生。はいはい、よく覚えています。ソルフェージュを教えていただきました。もっと驚いたのが数年前のコンサートでピアノ伴奏をなさった戎洋子さんのお名前。小学校の2,3年生の頃でしょうか、バイオリンの発表会のとき私の伴奏をして下さった方ではありませんか。一瞬、タイムスリップして、ワカメちゃんみたいなおかっぱ頭でぎこぎこやっていたシーンが目の前によみがえりました。戎さん、お元気かしら?きっと大昔のチビのことなどお忘れでしょうが。この紙面を借りてちょっとご挨拶。

 さて、ゆみさん。パリも、私が今暮らしている大磯もええとこですけど、こんどはぜひ大阪でお会いしたいわあ。御堂筋おさんぽして、お好み焼き食べて、ミナミで花月へ行って大笑いして、タコ焼き食べて・・・大阪の空気をいっぱい吸いにいかへん?ご一緒できるのを楽しみにしてます。ほな、次回お目にかかるときまで、お元気で!またね!

ラ・プレイヤード会報21号より
2003年3月1日発行




 高田ゆみ子(翻訳家)


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