新たな跳躍のとき


 
奈良ゆみさんと出会ったのは十六年前のこと。マリ・クレール・ジャポンの特集「パリに恋して、仕事して」(わたしがこんなタイトルつけたのではありません!)を書くためだった。ライターになってほぼ最初の大仕事だったので、印象深い思い出である。

 この記事の取材をとおして、わたしは特殊メイクや絵画など分野の異なる六人の女性と知り合ったが、今でも親しいつきあいがあるのはゆみさんだけだ。うまがあったということもあるが、それだけではない。わたしは、奈良ゆみという歌手が表現する音楽の可能性に、深く魅せられたのだと思う。

 個性に乏しい専門オタクの多いクラシック音楽家の中で、お茶目で幻想的なポエジーにあふれたゆみさんの感性は光っている。「女の人の肌が蓮の花のようにめくれて、ポロッときれいな卵がゼリーみたいに落ちて……」などと、自分が見た夢を語るときのゆみさんの言葉はおもしろい。詩人の藤富保男さんと気が合うのが、よくわかる。今年の三月、ヴィジュアル・ポエジー(目で見る詩)の展覧会のためにパリを訪れた藤富さんに、詩の話をしていただく会をもった。そのとき彼は、とびきり楽しい詩をいくつか紹介しながら、こんなことを言った。「われわれが常識というソファーの上にねころんでいると、視野が限定されて狭くなってくるのですね」

 ゆみさんがねころぶ野原には、常識という名の草は生えていないようである。

 現代バレエのスペクタクルに出演したかと思うと、日本の古典にインスピレーションを得た現代作曲家が、ゆみさんのために作品を捧げる……ジャンルを越え、時間と空間の軸を自由に遊ぶ創作の表現者にゆみさんが抜擢されるのは、この詩的な資質のせいだろうか。いずれにせよ、ブルジョワと高齢者しか行かない因襲的なパリのクラシック・コンサートから遠のいていたわたしは、ゆみさんのおかげで、刺激的な音楽表現の場に出会うことができた。

 ところで、十六年前のマリ・クレールの記事を読み返してみて、気がついたことがある。当時、ゆみさんが語った抱負はすべて実現されているのだ。自分の選曲によるリサイタルとレコーディング、サティ、メシアン、シェーンベルク……。さらに、その頃は考えもしなかった企画がいくつも実を結んだ。ふわふわと夢の中に生きているようで、ゆみさんはしっかりと指標を刻んでいるではないか。

 さて、今年の八月は、ゆみさんの歌人生における新たな跳躍のときである。ウェブサイトが開設されたのだ。

 サイトをつくっているのは、パリに住んで十年になる前田愛さんという女性。職はポップス歌手で、コンピュータにも音響にも明るい、うら若き、頼もしきひとである。ゆみさんの頻繁かつ莫大なるコンピュータ・ストレスを解消するために紹介したところ、「ふつうのソプラノ歌手とはまったく異なるゆみさんの個性と魅力を伝えられるような、エレガントでモダンなサイトをつくりたい」という運びとなった。舞台や作品をサイトで紹介するにはむろん限りがあるが、いわゆる履歴サイトや情報サイトとはひと味ちがうドットコムの世界を練る、愛さんのセンスに期待したい。プレイアードのページや、ゆみさんの日常を綴る「インタヴュー」のページにも遊びにきてください(月二回更新)。

ラ・プレイヤード会報22号より
2003年9月1日発行




1991年ベルリンにて。左から、当時ヤマハヨーロッパ社長小川氏、奈良ゆみ、飛幡祐規


 飛幡祐規 (たかはたゆうき)

 74年渡仏。パリ第五大学にて文化人類学、パリ第三大学にてタイ語、東南アジア文明を専攻。在パリ。新聞、雑誌などに記事やエッセイを寄稿。文学作品、シナリオ、その他の翻訳やコーディネートも手がける。著書に『ふだん着のパリ案内』『素顔のフランス通信』『ふだん着のフランス語「とってもジュテーム」にご用心!』。訳書にエドウィー・プレネル『五百年後のコロンブス』、ユラール・ヴィルタール『フランス六人組』、アンナ・カヴァルダ『泣きたい気分』。


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