芸術は光、光は命
─シェーンベルク特別公演にあたって─








この4月は『キャバレー・シェーンベルク』(キャバレー・ソングス、月に憑かれたピエロ、皇帝円舞曲)の日本ではじめての公演、このインタヴューも電話による特別インタヴューということでお願いします。

ゆみ

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おや、御機嫌は?

ゆみ


暗いわ、パリの空は。雨が降り続いて洪水になるかも。新聞ではパリの地域ごとに青の濃淡で、危険度が示されている。バスティーユ広場にも1mの水が押しよせるかもしれない。




バスティーユ広場を船でこいでゆくピエロノノいや、電話代を節約しましょう。これまでに『月に憑かれたピエロ』は何回ぐらいヨーロッパで?

ゆみ


ざっと30回ぐらいかしら。アンサンブルでコンサート形式、演出付き、いろいろなケースがありました。



その中で一番印象に残っているのは?

ゆみ


一番最初にボルドーのオペラ座でやったとき。ミッシェル・フュステ=ランベザのアンサンブルと一緒にやったとき。



そのきっかけは?

ゆみ






はじめにやはりミッシェルの指揮でモーリス・オハナの『三つのオハナの物語』のオペラを歌ったときに、これも歌い語りの部分があったので、次は『ピエロ』をやるのが夢ということを話したのね。そしたら数ヶ月して電話があって「こんど『ピエロ』をやるのだけれど歌手を探している」って。ミッシェル流のユーモアね。それが11月だったかしら。公演は1月。それから必死になって猛勉強をした。それだけにこのときの舞台は印象に残っています。幸せだった。2年前はもう一度15年ぶりに彼と『ピエロ』を再演して、やっぱり良かった。ミッシェルの『ピエロ』大好き!



『ピエロ』にはずっと関心があった?

ゆみ




まだ学生のころ、ブーレーズ指揮、エルガ・ピラルツィックの『ピエロ』をLPで聴いたの。ぞくっと鳥肌が立った。そしてこれだ!と。でもとても危険なものに思われて、一度聴いたきりばたんとフタをしめてしまった。それは耐えがたい誘惑だった。フランスへ来てからはノエミ先生に禁じられました。まだ早い、と。でも、ずっとずっとやりたいと心の中で思っていたのよ。



そしてその後30回ほどチャンスがめぐってきたわけですね

ゆみ

リエージュでCD録音した時、母が病気のときで辛かったのでよく覚えている。




そして、一昨年と昨年の公演はハンス・ピーター・クロースの演出でスペクタクルとして、ボルドーとパリでした。

ゆみ


やるたびに違ってくる、それが『ピエロ』。そして『ピエロ』はたぶん、私の個性が一番よく発揮される曲みたい。



演奏者として『ピエロ』の魅力は何でしょう?

ゆみ

CD解説の中の私の言葉を読んでませんね。

Q 











あ!不勉強でした!ここでインタヴュアーは大いに反省をして解説の中のゆみさんの一文を読み直しCDを改めて聴き直しました。おわびのしるしに以下にゆみさんのコメントを日本語に訳しておきます。
「これは、私たちの無意識への、私たちがそうであると信じているものへの、私たちがそうなりたいと望んでいるものへの、旅なのです。私たちはすべて<月に憑かれたピエロ>なのです。あいまいな夢想と残酷な現実な中で生きているのですからノノでも道の果てにはいつでも希望があります。愛の静けさと、忘れ去られた幼年期の郷を再発見するという希望が。そこではあらゆる欲望が乗り越えられている・・・」
(ひとりごとーそうか、『ピエロ』によせる思いの中にはゆみさんの人生哲学がこめられているのか・・・)
さてあらためておうかがいします。『ピエロ』を演ずる難しさは何でしょう?

ゆみ





『ピエロ』は楽譜として、リズム・音程関係がきっちりと記されている。ドイツ語でね。ただ歌うのではなく、語るのではなく、歌い語り、<シュプレッヒゲザング>の唱法。これを見つけるのが大変だった。人によっては語りが強すぎ、また人によっては歌になりすぎている。初めてやった時に、ミッシェルに「どうやっていいかわからない」と言ったら「あなたにあったように歌いなさい。それぞれのピエロがあるのだから」と言われた。今ではすっかり身につきました。



詩の言葉は?

ゆみ





大好き!ジローのフランス語の詩をハルトレーベンがドイツ語に直したもの。お酒、恋、罪、夢、信仰、笑い、悲しみ、人間の一生の旅ね。そして最後に救いがある。「月の光を櫂として蓮の葉を舟として追い風に乗って南にこぎ下る」べルガモに帰るの。そして最後に陽光のさしこむ窓から愛する世界を自由に眺め、遠い幸多い彼方を夢見る。「おお、遠い昔のなつかしい香りよ!」と。芸術というのはこういう光が見つけられるかどうかでしょう。




あえて「キャバレー・シェーンベルク」と題した理由は何でしょう?

ゆみ


















シェーンベルクはよくベルクやウェーベルンと一緒に紹介されることが多いのですが<キャバレー>というテーマではあまりとりあげられていないんですね。でもシェーンベルクはベルリンからキャバレー<ユーバーブレテル>の楽団がウイーンに来たときに「キャバレー・ソングス」(ブレッテル・リーダー)を書いて、これは魅力的で音楽的にもとてもすぐれたもの。そのすぐあと1901年にベルリンに来てこのキャバレーの楽団の指揮者をしています。一度ウイーンに戻るのだけど1911年にまたベルリンに来て女優のアルベルティーネ・ツェーメに出会い、彼女に頼まれて<語り手>のための作品を書く。それが『ピエロ』。そういう意味で『ピエロ』はベルリンのキャバレーの世界とのコンタクトから生まれたと言えるわけ。




ドイツ語のカバレットは日本語のキャバレーとは意味が少し違って、詩を朗読したり歌を歌ったりの文学酒場のことですね。

ゆみ





そう。『ピエロ』はその後の音楽史の中で重要な位置を占めて、音楽書法という面で大きな影響を与えているのですが、私に面白いのはピエロの人間的側面、人間性。ということでレコーディングも「キャバレー・ソングス」と組み合わせました。こういう事は、実はそれ以前にハンス・ピータ・クロースとも話していて、それが昨年パリでやった彼の演出によるスペクタクルになったわけ。本当はこのスペクタクルをそのまま日本に持ってきたかったのですけれど。



そのかわりに今回の催しですね。

ゆみ







この二年間ずっと大阪のモーツァルトサロンで「フランス音楽の全貌シリーズ」をやってきました。今回はスペシャルコンサートということでやはりモーツァルトサロンが企画してくださった。ピアノはずっと一緒にやってきた谷口敦子さん、指揮は寺嶋陸也さん。それにアンサンブルのフルートはCDの時の演奏者、高橋眞知子さん。オランダから来られるのよ。演奏者たちの冒険心に満ちた情熱でキャバレーをテーマにしたシェーンベルクのコンサートを大阪と東京で二つもできるなんて、何と幸せなことでしょう。それでいまとても情熱に燃えているところ。芸術は光、光は命。<もっと光を!>

ラ・プレイヤード会報21号より
2003年3月1日発行




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