ゆみ
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暗いわ、パリの空は。雨が降り続いて洪水になるかも。新聞ではパリの地域ごとに青の濃淡で、危険度が示されている。バスティーユ広場にも1mの水が押しよせるかもしれない。
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Q
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バスティーユ広場を船でこいでゆくピエロノノいや、電話代を節約しましょう。これまでに『月に憑かれたピエロ』は何回ぐらいヨーロッパで?
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ゆみ
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ざっと30回ぐらいかしら。アンサンブルでコンサート形式、演出付き、いろいろなケースがありました。
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Q
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その中で一番印象に残っているのは?
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ゆみ
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一番最初にボルドーのオペラ座でやったとき。ミッシェル・フュステ=ランベザのアンサンブルと一緒にやったとき。
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Q
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そのきっかけは?
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ゆみ
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はじめにやはりミッシェルの指揮でモーリス・オハナの『三つのオハナの物語』のオペラを歌ったときに、これも歌い語りの部分があったので、次は『ピエロ』をやるのが夢ということを話したのね。そしたら数ヶ月して電話があって「こんど『ピエロ』をやるのだけれど歌手を探している」って。ミッシェル流のユーモアね。それが11月だったかしら。公演は1月。それから必死になって猛勉強をした。それだけにこのときの舞台は印象に残っています。幸せだった。2年前はもう一度15年ぶりに彼と『ピエロ』を再演して、やっぱり良かった。ミッシェルの『ピエロ』大好き!
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Q
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『ピエロ』にはずっと関心があった?
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ゆみ
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まだ学生のころ、ブーレーズ指揮、エルガ・ピラルツィックの『ピエロ』をLPで聴いたの。ぞくっと鳥肌が立った。そしてこれだ!と。でもとても危険なものに思われて、一度聴いたきりばたんとフタをしめてしまった。それは耐えがたい誘惑だった。フランスへ来てからはノエミ先生に禁じられました。まだ早い、と。でも、ずっとずっとやりたいと心の中で思っていたのよ。
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Q
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そしてその後30回ほどチャンスがめぐってきたわけですね
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ゆみ
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リエージュでCD録音した時、母が病気のときで辛かったのでよく覚えている。
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Q
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そして、一昨年と昨年の公演はハンス・ピーター・クロースの演出でスペクタクルとして、ボルドーとパリでした。
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ゆみ
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やるたびに違ってくる、それが『ピエロ』。そして『ピエロ』はたぶん、私の個性が一番よく発揮される曲みたい。
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Q
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演奏者として『ピエロ』の魅力は何でしょう?
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ゆみ
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CD解説の中の私の言葉を読んでませんね。
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Q
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あ!不勉強でした!ここでインタヴュアーは大いに反省をして解説の中のゆみさんの一文を読み直しCDを改めて聴き直しました。おわびのしるしに以下にゆみさんのコメントを日本語に訳しておきます。
「これは、私たちの無意識への、私たちがそうであると信じているものへの、私たちがそうなりたいと望んでいるものへの、旅なのです。私たちはすべて<月に憑かれたピエロ>なのです。あいまいな夢想と残酷な現実な中で生きているのですからノノでも道の果てにはいつでも希望があります。愛の静けさと、忘れ去られた幼年期の郷を再発見するという希望が。そこではあらゆる欲望が乗り越えられている・・・」
(ひとりごとーそうか、『ピエロ』によせる思いの中にはゆみさんの人生哲学がこめられているのか・・・)
さてあらためておうかがいします。『ピエロ』を演ずる難しさは何でしょう?
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ゆみ
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『ピエロ』は楽譜として、リズム・音程関係がきっちりと記されている。ドイツ語でね。ただ歌うのではなく、語るのではなく、歌い語り、<シュプレッヒゲザング>の唱法。これを見つけるのが大変だった。人によっては語りが強すぎ、また人によっては歌になりすぎている。初めてやった時に、ミッシェルに「どうやっていいかわからない」と言ったら「あなたにあったように歌いなさい。それぞれのピエロがあるのだから」と言われた。今ではすっかり身につきました。
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