Q
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その次にアーメド・エッシアードという人の「策略の首輪」という現代オペラに出演なさっていますが、これはどういう作曲家ですか?
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ゆみ
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これはすばらしい作曲家で、モロッコの人。歌もよかった。私は現代音楽の可能性をこの曲で発見したと言っていいくらい。そう言えばスカラノさん(デュラン社元社長)が、「エッシアードと松平だけがその二人だけが現代において自国の音楽と西欧音楽の融合に成功した」と言っていた。モードによるインプロヴィゼーションがあり動きがある。やっていて楽しかった。ここで初めてフルートの高橋眞知子さんと出会った。
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Q
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次がジェラール・マッソンの作品の「ウエスト?」。ポンピドゥー・センターでの演奏。おや?指揮者は先年なくなったジウゼッペ・シノーポリですね。
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ゆみ
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ジェラール・マッソンというのはアル中の作曲家で、自滅したと思ったら、いまは指揮をしています。シノーポリはあんなに有名になるとは思わなかったけれど、指揮はとてもよかった。自分の恋人にピアノを弾かせていたのだけれど、私と二人での特別の練習をしたがるので困りました。だんだん目の色が変わってきて・・・。
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Q
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78年12月にまた吉田さんの作品を歌っていますね。
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ゆみ
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「いろはにほへと」絵巻物のような作品で沈黙を歌うというか沈黙を生かす作品。アイディアが面白かった。これは傑作だと思います。
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Q
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そしてまた藤井さんの「おままごと」。
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ゆみ
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このときはカフェ・エドガールという小さな劇場で一週間にわたって歌いました。ああいう場所で現代音楽の夕べが持てるというのはすばらしいこと。
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Q
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1970年代末に出演された沢山のコンサートの中で一番大きな意味を持ったのは何でしょう?
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ゆみ
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パスカル・デュサパンの「ルーメン」「イジチュール」「鎖につながれた男」です。アルス・ノヴァ・アンサンブルで、フィリップ・ナオンの指揮。このコンサートが大成功でパスカルはそれまで独学のかけ出し作曲家だったのだけれど、これ以後大舞台で脚光をあびるようになった。それにつられてというか、私の所にもいろんな仕事がくるようになった。あ、あれ見たことはないかしら。[と言って席を立ち<ル・モンド・ド・ラ・ミュージック1980年1月号を持参される]
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Q
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いいえありません。[と言ってページをめくる]あ、すごい「1980真の実力者」というコーナーの中央に写真が載っているではないですか。横にはミッシェル・ポルタルがいて。
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ゆみ
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そこではなくて、このページ。
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Q
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あれ、また大きな写真が載っている。これはインタビュー記事ですね。
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ゆみ
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裏を見てください。
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Q
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あ、裏ページにはデュサパンの大きな写真とインタビュー。デュサパンは何と言っているのかな。少し訳してみましょうか。「私はそれぞれの音の放出の中に含まれるエネルギーにいつも注目しています。このエネルギーということを本当に分かってもらえたのはユミ・ナラだけなのです。おそらくそれは彼女が日本人だからでしょう。一種のエロチックな恍惚を生まれながらに身につけていて、それが彼女の歌う一切のものに並外れの力を付与するのです。彼女が私の音楽を奏すると私の表現の一部をそっくり自分のものとして引き受ける。私ができないようなことを彼女はするのです・・・」これはすごい!
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ゆみ
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こうやって二人で一緒に世に出たということ。
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Q
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そうですか。現代音楽におけるユミ・ナラの時代の夜明けですね。
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ゆみ
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現代音楽の作曲家達が次々にやってきて私のために曲を書いてくださった。現代音楽が私を必要としたのでしょう。だから私もそれに答えていった。オペラもやりたいと思ったけれどそういう動きをする余裕はまったくなかった。仕事自体がとてもエキサイティングだったし。作曲家と一緒にものをつくるのだから。生きている作曲家だから手ごたえがある。その場で良し悪しがわかるし。それで、自分の中に眠っていた可能性を発見していったわけ。
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Q
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ところでこういった演奏会の録音テープは残っているのでしょうか?
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ゆみ
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残っています。
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Q
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それはぜひ聴かせて下さい! |